第1話 いちばん縁遠い人のはずだった


「なつみちゃん、久しぶり!  今日はね…お母さんのことで電話をしたの。」

携帯にかかってきた
母の古くからの友人からの電話で言われた時が
10年の母と歩んだ道のスタートでした。

その時、母は50代前半。

週に2回は趣味であるテニス
英会話を習ったり
友人とのランチを楽しんだり
七五三や袴の着付けをする仕事を定期的にしたり

40代過ぎから
ママ友と共にフラワーアレンジメントの仕事を始めたりと
それはそれは毎日忙しい日々を過ごしていました。

明るくて話は面白く機転の利く性格。

何かの時のためにと
ピン札や何種類ものポチ袋やレターセットの準備を欠かさなかったり

困っている人を見かけると
話しかけずにはいられない気遣い屋さんでもありました。

そして、料理が大好きで
1か月間で同じメニューは
ほとんど出さないような記憶力はもちろん 
手際のいい人です。

そうそう。母の両親。
私の祖父母もとても元気。

だから遺伝でもありません。

母は、私が思うには
認知症という病から一番といっていいほど縁遠い人でした。

そんな母が認知症を患い10年。

一昨年、私の名前を忘れ、
私を娘だと認識できなくなり昨年、施設へ入所しました。

長く苦しかったようで
短く笑いでいっぱいだったような

今まで感じたことのなかった感情を味わいつくした
この10年をつづります。

母への愛を込めて。




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このコラムは私と若年性認知症を患った母の10年をつづります。
エピソードに
家族として得た経験と知恵
看護師としての知識を織り交ぜてお伝えしますね。

なぜ私がコラムをつづるのか。

それは、
《時代の変化に対応した 認知症を伝えたいから》です。

65歳以上の6人に1人が患っている認知症。

以前は、子育てが終わり落ち着いてから親の介護でしたよね。
今は違います。

親の介護をしながら子どもの育児をしなくてはならない。
親の介護をしながら仕事をしなくてはならない。

資金だってそう。
自分たちの老後や子どもの教育費のためまだまだ貯めないといけない時。

そんな時代です。

育児や仕事をしながら介護をした私の経験は
きっと皆さんのちょっと先の未来に役立つと思います。

「これを知っていれば」
「こんな風な視点をもっていたら」

母を罵倒しなかったのに
私が私を責めなかったのに
夫を苦しめることはなかったのに。

もっともっと笑いでいっぱいにできたはず!!

そう思った数々のことを皆さんへお伝えすることで

未来の皆さんのご両親へ向ける笑顔が
一緒に笑う時間が
ほんの少しでも増えて

穏やかな時間が1分でも長くなって欲しい。


そして、もしあなたが50歳過ぎで認知症に 
なったとしたら。 

そんな視点も持って お読みいただけたなら嬉しいです。

そんな気持ちをこめて毎月綴らせていただきます。

母の尊厳を守るため
詳細を語れないことや
質問にお答えできないことがあります。
ご了承ください。

では来月、また^^




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《プロフィール》
竹内なつみ

神奈川県横浜市で育ち 
3歳上の頭の切れる姉と喧嘩することなく、
ぬくぬくと甘えさせられて育つ。
母が40代前半で生死をさまよう手術をした経験から、
表情や顔色、会話の雰囲気などの変化に気付けるようになり、
身近な人を守りたいと看護師を目指す。
日本赤十字看護大学にて看護師・保健師の資格を取得後、
脳神経外科専門病院にて勤務。
急性期病棟にて経験を積む。
その後、看護を学ぶため、大学院修士課程へ進学。
病院入院中の患者を観察やインタビューなどから、
患者について深く学ぶ。
観察力、分析力、文章力を評価され、博士課程へ進む。
博士課程在学中、ワンオペ育児、介護で忙殺され、途中退学する。
現在は、とにかく明るい性教育「パンツの教室」インストラクターとして活動中。
活動開始より半年で70名、1年で130名以上の方へ伝えている。