第6話 認知症の診断

このコラムは私と若年性認知症を患った母の10年をつづります。

これまでのコラム▼
第1話 いちばん縁遠い人のはずだった
第2話 怒り
第3話 手帳
第4話 敵を知る
第5話 北風と太陽


こんにちは、竹内なつみです。
東京では桜が開花して街が華やいで見えます^^

皆さんのお住まいはいかがですか? 


7歳の息子が0歳だった時。

私が住んでいた街の近くの大学病院に
毎月通っていた母と受診後にランチをして

近くの植物園に寄りました。


母が0歳の息子を抱き上げて

桜の花の近くまで顔を寄せさせ
写真を撮ったことが鮮明に思い出されます^^



毎月の通院で思っていたこと。

それは… 


「なんで言ってくれないの、先生~!!」
でした!!!


「きっと母は認知症だろう。
 先生に診断してもらえたら確信がもてる。」

そう思って病院に行ったのに


結局、母が認知症と診断されたのは

病院に行き始めてから
5~6年経ってからだったんです。



母が先生から言われ続けたのは
『 MCI=軽度認知障害 』


これは、認知症の手前ですよ!
ということです。



忘れっぽいなどの記憶の混乱は生じているけれど
日常生活は送れている状態です。


母の違和感に気づいてから5~6年の間、
母はちょっと物忘れをしやすくて
話した内容を時々覚えていないくらいでした。


そこからゆっくりと進行して

車をどこか置いたことを忘れて
バスで帰ってきたり 
 
冷凍庫に指輪が入っていたり

ティッシュペーパーやトイレットペーパーは
1年分くらい買い込んだり

電話を切って1分後に
「電話した?」と電話がかかってきていました。




ですが、これらはまだ認知症ではなく
軽度認知障害!!


「認知症と診断される日は
 一体どんな状態なの…?」

と思ったほどです。 


実際に、認知症と診断されたのは
日中1人で自宅にいてもらうことが
とても不安になった頃。


バスや電車に一人で乗ってしまい
持っていてもらっていたGPSが
知らぬ場所を指していたり

私のことを娘だと
わかる日とわからない日があったり

夏なのに冬のように着込むなど
季節感のない洋服を着るようになってから。


「先生、これでも認知症でないのですか?」
父はよく聞いていたように覚えています。

先生に認知症と言ってもらえることで
「妻は病気なんだ」「母は病気なんだ」と

私や父は誰かに言って欲しかったのかもしれません。



でも、母の主治医はニコニコとしながら

”診断は重要でないこと”を

度々私たちに話しました。 




今、介護の日々を思い返すと
主治医が話していたことに納得します。


認知症という診断を受けたからといって

薬が変わるわけでも、
介護認定が変わるわけでも、
私たちの母への接し方が変わるわけでも 

なかったんです。


ただ、紙面上の診断名が 
変わるだけのことだったんです。


認知症に限っては診断は重要ではない。

当時はわかりませんでしたが
今では、よくわかります^^



病院は、

今、認知症が疑われる人が
本当に認知症なのか専門家に判断してもらうこと
今、どの段階にいるのかを知ること

そして、
進行をゆっくりにする薬を処方してもらうこと
専門家から生活のアドバイスをもらうことを

目的に行きます。




そうそう。

認知症のように見えて
他の病である可能性も大いにありますので、

病院に行くことは大切ですよ~!


行くのが面倒だな。
連れて行くの、大変だし。

まだ、なんとか大丈夫そうだから

もう少し悪くなってからでもいいかな。

と思いがちですが、

認知症でない場合、

内服ですっかり症状が緩和されることもありますので
早めに受診されることをおすすめします^^




800万人以上いると言われる
MCI(軽度認知障害)は薬のほかにも

進行の予防や回復へのアプローチできる方法があります。


次回はMCIの方へアプローチ方法を紹介しますね^^

では、また来月!




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《プロフィール》
竹内なつみ

神奈川県横浜市で育ち 
3歳上の頭の切れる姉と喧嘩することなく、
ぬくぬくと甘えさせられて育つ。
母が40代前半で生死をさまよう手術をした経験から、
表情や顔色、会話の雰囲気などの変化に気付けるようになり、
身近な人を守りたいと看護師を目指す。
日本赤十字看護大学にて看護師・保健師の資格を取得後、
脳神経外科専門病院にて勤務。
急性期病棟にて経験を積む。
その後、看護を学ぶため、大学院修士課程へ進学。
病院入院中の患者を観察やインタビューなどから、
患者について深く学ぶ。
観察力、分析力、文章力を評価され、博士課程へ進む。
博士課程在学中、ワンオペ育児、介護で忙殺され、途中退学する。
現在は、とにかく明るい性教育「パンツの教室」インストラクターとして活動中。
活動開始より半年で70名、1年で130名以上の方へ伝えている。

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