第10話 施設入所のタイミング

おはようございます。
竹内なつみです。

認知症となった母との10年の歩みと脳神経外科専門病院で勤務した経験、
保健師の知識も盛り込み、認知症や介護に関する情報をお伝えしています。




これまでのコラム▼
第1話 いちばん縁遠い人のはずだった
第2話 怒り
第3話 手帳
第4話 敵を知る
第5話 北風と太陽
第6話 認知症の診断
第7話 認知症の予防
第8話 着地しない心の疲れ
第9話 介護費用のホントの話



本日からは、  
家族を施設へ入所させることについてお話しをしたいと思います。



先月、高齢者施設についてご紹介しました。


介護の必要な量によって適切な施設が違ったり
費用面でもピンからキリまであることをお伝えしましたね!


施設入所の理由はさまざまです。

・病気を患い、身体状況や精神状態から判断し、元の家では生活ができない。
・家庭では十分なケアができない。
・家族に入所をお願いされた。
・家族に迷惑を掛けたくないと自ら入所を望んだ。


「心配だから!」と家族に依頼されても
「今の家で住み続けたい」と抵抗される場合も多いです。



子としても親の気持ちを優先させてあげたいと、
なるべく家で過ごさせてあげようとします。 



心配だからと見に行ったり夕飯を届けに行ったり
面倒だからと入らなくなったお風呂へ促したり
住みたい気持ちを支える家族のフォローは
「支える」という言葉以上にとても大変なことです。



要介護度によっては訪問介護というものが使えますので
介護士さんにお風呂や食事をお願いできることもあります。




ですが、現在、高齢者の増加に伴い、
要支援や要介護1という買い物の付き添いや
料理を作ってもらえるなどの支援を受けられる人が激減。



要介護1だった方が、介護度の見直しで要支援へさがり、
買い物の付き添いなどをしてもらえなくなったという話は
数年前からよく聞くようになりました。



ですので、買い物など簡単な支援は
家族がフォローしなくてはならない現状です。



1時間程度の簡単な支援と言っても
行き来の時間や費用がかかりますし、
薬をもらうための病院受診には待ち時間がかかります。



暑い日も寒い日も雨の日も毎週必ず1回は…
それも何年もとなると相当な負担です。



仕事もしつつ、子育てをしながら高齢の家族の気遣いもして…

特に、介護を受ける側は介護は女性がするもの!
という概念を持っている人が多い世代ですのでまだまだ、
妻という立場の人は本当に大変です。



使える介護サービスと家族の負担のせめぎ合いの中で出てくるのが
”施設入所”という言葉です。




私が母の入所を決めた大きな理由は徘徊でした。



6年前、GPSを鞄に忍ばせ
週3~4回のデイサービスの利用をしていました。



夫ほぼ不在の中、大学院に通い、1歳の長男の育児。



朝一番に長男を保育園に預け、すぐに車に乗り込み、
30分かけて母の家へ。



家の整理や内服状況の確認鞄や携帯のチェックをして
忘れて何度も買ってしまっている物をバッグに入れて車に乗せる。



今日の予定を確認して紙に書いたり、1週間のスケジュールを確認。



入浴を極度に嫌がる母に今日は足だけ、
今日は腕だけ背中は温タオルで拭いたりと部分的に洗ったりしましたし、
洗面台で髪の毛を洗い、時間短縮のためにドライヤー2本で乾かしていました。



ちなみに、
認知症の薬をもらうための受診は月に1回、1日がかり。



その他にも、脳神経外科にも通院していたので
そちらにも月1回、1日がかり。



他にも皮膚科に眼科に…1日がかり!



それが終わると30分かけて自宅へ戻り
今度は電車で1時間弱かけて大学院へ。



あっという間に子どものお迎えの時間になり
夕方になると母からの「私どうすればいいの?」の電話の嵐。 



話しても話しても忘れてしまうので、
切ったら5分以内で電話がかかってきました(笑)。



夜泣きに対応しながら夜中に大学院の勉強と研究。



それに対応しながらの次男の妊娠出産。
まるで嵐のような5年間でした・・・。



家族には「お母さんの様子見てきたよ」 
この一言にこれだけの作業が入っているんです。



「支える」って言葉以上に本当に大変なことです。



なんとか持ち前の体力と根性で5年間を乗り切ってきましたが
「もう無理!」と限界を突きつけられたのが”徘徊”でした。



息子がインフルエンザ発症で幼稚園をお休みした日。
冬の寒い日でした。



デイサービスの方から電話があっていつも母がいる場所にいないと。



慌ててGPSを見ると、自宅から遠く離れた麻布十番あたりを
ものすごい勢いで動いている点。



「電車に乗ってる!それも神奈川から埼玉に向かってる!」



慌てて電話をすると出勤ラッシュの満員電車に乗った母が
「今、家に帰ろうとしている!」と。



すぐに下車してもらい、今の服装を教えてもらいました。



その場から動かないでと話し、
すぐさま母の近くの警察に電話をしたら
「まず、110番してください。」と指示が。


110番をしたら、住んでいたのは神奈川県だったので
神奈川県警に繋がり、事情を話すと警視庁へ。
警視庁に話すと、最終的には 最初に電話した警察へ…。  



その間、20分。GPSはどんどん動いて、六本木へ。



保護まで小1時間かかりましたが、
母が季節外れのサンバイザーをしていてくれたおかげで
六本木のあの大きな交差点で警察に保護してもらえました。



もちろん、迎えに行かなくてはなりません。
姉も父も仕事で無理。 


夫の上司に頼み込んでもらい、夫に帰宅してもらいました。


迎えに行くまで3時間ほどかかり、
迎えに行くと4人の警察官に囲まれた母!





まるで大罪を犯した人のようでした…!



何度話しても理解できなく
部屋を出ようとする母を止めるのはとても大変だったとのことです。



なんともいえぬ複雑な気持ちで
母の引き取りに関する書面にサインをして、
私を娘だとは認識できず
知り合いだと思って笑顔を見せる母を連れて警察を出ました。



その後も、バスで徘徊してしまったり
GPSがなければ行方不明になっていただろう事案が多発。


実際、日本では、
認知症の行方不明者は年間1万5000人以上います。



大好きな犬のいる自宅で過ごさせてあげたいけれど、
これでは母の命を守ることは難しい。



そして、私ももう限界。


それが決定打でした。


年末に施設をいくつか見学し、
とにもかくにも、早くしないとと
近場で認知症ケアが主であるグループホームを選び、
急遽空が出た連絡をもらえたこともあり、
お正月を家族ですごしたのち、母の施設入所となりました。



いつ施設に入所するのか。



それはご本人、家族の状況によるので
タイミングというのはそれぞれ違うと思います。



私は徘徊でしたが、徘徊してもなお自宅で看る方はいますし、
もっと前の段階で入所される方もいます。



家族内でも意見が異なりますので話し合いは何度も必要になります。



そんな時、必ず、主介護者である主に介護をしている人の意見を
最優先にしていただきたいとから思います。



主介護者とその人のサポートをする立場は
身体的精神的な負担は全く異なるからです。


次回は、”施設入所のその時”をお話します。
何度説明しても忘れてしまう認知症。


そんな母を施設に送り届けることはとても大変なことでした。
私の経験が、みなさまの今後のお役に立てればと思います。

では、また次回! 




▶︎過去のコラムはこちら
https://rdoor-official.com/category/column/takeuchinatsumi/





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【プロフィール】
保健師資格を有する看護師。
脳神経外科専門病院、超急性期・急性期にて勤務後、
看護とは何か、患者さんの体の変調に伴う感情の変化を研究すべく、
大学院へ進学。修士課程卒業、博士課程中退。
大学院入学と共に、実母の認知症状が現れ始め、
学業、仕事、ワンオペ育児と介護に奮闘する。
現在は、看護師として勤務しつつ、ミセスコミュニティーR-door副代表を務める。