第12話 家族のために残す言葉
こんにちは。竹内なつみです。
認知症となった母との10年の歩みと脳神経外科専門病院で勤務した経験、
保健師の知識も盛り込み、認知症や介護に関する情報をお伝えしています。
これまでのコラム▼
第1話 いちばん縁遠い人のはずだった
第2話 怒り
第3話 手帳
第4話 敵を知る
第5話 北風と太陽
第6話 認知症の診断
第7話 認知症の予防
第8話 着地しない心の疲れ
第9話 介護費用のホントの話
第10話 施設入所のタイミング
第11話 そびえ立つ高いハードル
お母さん、私を恨みますか?
あなたに人生で最大の嘘をつき
あなたの生活を変える決断をして
あなたを置き去りにした私を恨みますか?
認知症の母が施設入所してから2年半になりますが、
”あの時”の気持ちを 私はずっと忘れないと思います。
この1年半、コロナ禍で面会がままならなく
月1回の施設からの手紙と施設への電話で母が立って体操しなくなってきたこと
指示されないと行動しなくなってきたことなど
認知症の症状が進んだことを感じるたび
心の片隅に塊になってゴロンと置いてある気持ちに目が向きます。
いつものデイサービスに車で父と迎えに行ったところから
母を施設入所に入れる試みが始まりました。
母の好きそうなカーテンに布団カバー観葉植物に家族や愛犬の写真をいれた写真たて、
コップにお気に入りの洋服に靴。
入所する日の午前中に施設を訪れ母が
これから過ごすことになる部屋を母好みとなる様に、セッティングしました。
母が夫だと認識している父が母と一緒に行き、置いて戻る。
それが難しかったら、母が娘と認識してない私が父に代わり
対応するという約束を父としました。
父と母は施設の中に入り、
自室まではスムーズに行けたようでしたが母が父を引き留め、
父が出てこられない。
連絡を受けて、父とバトンタッチし、
父に先にエレベーターの下にいるように伝え、
父がエレベーターに乗ると、
母は父に
「お父さん、置いて行かないで!」と叫び泣きました。
それから、私は1時間もの間、母に嘘をつき続けました。
「○○おじさんが急病で
今、お父さんは新幹線に乗って駆け付けたの。
お父さんのいない家で待つお母さんのことが心配だから
ここの“ ホテル” で“ 1日だけ ” 待っていてほしいの。」
「いやだ、私も帰る!! どうして待たないといけないの?」
そんな嘘をついて母をほんの1日ここにいて欲しいと話し続けました。
話しているそばから どんどん忘れていく母に 何度も何度も話しました。
母は泣きながら
「あなたが誰か分からないけど 家に帰らせて!」
「お父さんって誰の事? あなたのお父さんは知らない!」
「私はあなたのお母さんじゃない!」
と何度も叫ばれました。
(お父さん、お母さんではなく名前で話さなければならなく、
度々間違えながらの会話で今思えば、私も母も大混乱でした。)
母が私を娘だと認識していないことは分かってはいるものの
何度も何度も浴びせられる言葉に
「もう、今日は一度家に帰らせようかな。」
と心が折れそうになりました。
その度に、
「でも、このお互いつらいやりとりは 1回で終わらせよう。」
と思い返しました。
ほんの一瞬、母が他の事に注意がそれた時
私はさっと部屋から飛び出し職員の方が開けてくださっていたエレベーターに乗り込みました。
「お願いだから早く閉まって!」
急いで何度も押すボタンが涙でかすみ、
エレベーターのドアがようやく閉まり始めた時、
一瞬見えた、部屋から出てきた母の背中。
私はこの瞬間の景色を生涯忘れないと思います。
施設の下で待っていた父を車で家に送り届けてから
声を上げて大泣きしながら車を走らせて子どもを迎えに行きました。
泣き叫ぶ母の顔はそれからずっと頭に残り、
時には、母を置いてくる役目を私に託した父と姉に
怒りが湧いてくることもありました。
看護師として病院で勤務していた時
ご自宅に帰れず施設などに入所する患者さんのご家族に
「お気持ちお察しします。
ご家族の生活と患者さんの生活を考えたこの決断、最善だと私も思います。」
そんな言葉を言っていた私。
今回 相談した友人はみんな優しくそう言ってくれました。
ありがたかったです。
とても救われました。
でも、その現実は、あまりに胸が痛くて、
苦しくて、
悲しくて、
辛くて、
どうしようもなかったんです。
恨まれるかもしれない。
でも、私は母の命が 安全に守られることが何よりも大切なんだ。
その気持ちを心に叩き込みながら時に心の中の塊に対峙します。
面会に行くと微笑む母に
「生んでくれて ありがとう。」
「育ててくれて ありがとう。」
育児をして身にしみてわかった母のありがたさ。
私を生んでくれたことへの感謝。
育ててくれたことへの感謝。
私のことが誰だか分からなくなっても
その言葉を伝えると抱きしめてくれる母に
私はまた感謝の気持ちでいっぱいになるんです。
「ありがとう」と「ごめんね」の大洪水です。
姉にこんな私の気持ちを話した時、姉から、
「もし、母が数分だけでも元に戻れたら施設に入れたことを感謝すると思うよ。
家族に迷惑をかけることをとても嫌がっていたしこういうことになったら、
施設に入れて欲しいと 話していたじゃない?」
と話されました。
あぁ、そうか、一言を残しておくだけで
家族はこんなにも救われるんだなと思いました。
「こうなったら施設に入れてね。」
「申し訳ないけど、あなたの無理のない範囲でいいから自宅で過ごさせて欲しい。」
「延命治療は要らない。」
「延命治療をしてほしい。」
本人の希望を家族が知っていることで家族が判断に迷い、
判断をした後にも心悩ませることを減らすことができる。
それを知ってからは、家族には私の意向を伝えると共に、
私の保険証書と一緒に私の意向を書いた手紙を保管しています。
そして、運転免許証や保険証の裏の移植関連の希望の有無にも記載をしています。
もし意思が変わった時は、いつでも書き直せばよいことですから
重たく考えずに書いています。
今回はわが家の話でしたが、施設入所までのストーリーは人それぞれです。
スムーズに入所できる方もいれば、もっと困難な方もいらっしゃるでしょう。
十人十色のストーリーがあると思います。
この経験をした私は今、高齢者が入所する施設で勤務していますが、
どんな形であれ、施設入所を決められたご家族の決断を応援したいですし、
入所されたご本人をねぎらって差し上げたいといつも思っています^^
施設入所までがゴールではなく、施設入所してからもご本人へのケアは続きます。
”放任しない””放置しない”というケアです。
また次回、お話をさせていただきます。
R-doorオンラインサロンでは、
コラムニストやメンバーの皆さんとの
交流が出来ます。
【プロフィール】
竹内なつみ
保健師資格を有する看護師。
脳神経外科専門病院、超急性期・急性期にて勤務後、
看護とは何か、患者さんの体の変調に伴う感情の変化を研究すべく、大学院へ進学。
修士課程卒業、博士課程中退。
大学院入学と共に、実母の認知症状が現れ始め、学業、仕事、ワンオペ育児と介護に奮闘する。
現在は、看護師として勤務しつつ、ミセスコミュニティーR-door副代表を務める。
▶︎過去のコラムはこちらhttps://rdoor-official.com/category/column/takeuchinatsumi/